ゼミ生コラム

個性の強いメンバーが集まる水島ゼミのゼミ生は日々何を考えているのでしょうか?

このページでは、ゼミ生がコラムという形で自分の関心のあることについて、思うままに書いています。

テーマは時事問題から自分の趣味について、とにかく多岐にわたります。

それぞれの個性が実に強く出ています。

このコラムを通して、ゼミ生のもうひとつの側面を知ることができると思います。

 

2012年度以前のコラムは左のバーからご覧ください。

 

ここでの意見はあくまでも一ゼミ生個人の意見であり、水島ゼミまたは早稲田大学を代表するものではありません。

19・20期(2016年度)

この世界に、「他人事」なんてない

2016/10/17

執筆 かにわ ひろみ

 

わたしたちは「自分に関係ないこと」を「他人事」と呼び、壁を築いてしまいがちです。しかし少しばかり頭をひねれば、自分と無関係な事物などないのではないでしょうか。

 

先日コンビニでシュークリームを買ったときのこと。「運命」は、ほんの少しの偶然が重なってできるものであるように感じました。二つあったシュークリームのうち生クリームのものを選んだのですが、後ろに並んでいた人が残ったカスタードクリームのものを買っていったのです。

 

もしここで私がカスタードクリームのものを買っていたら、後ろの彼女はおそらく生クリームのものを手に取ったことでしょう。この一連のちょっとした行動で、私は名前も知らない他者のご褒美タイムのお供を変えてしまったわけです。おやつに食べたものによる胃もたれの度合い次第で、その日の夕食の献立も変わるかもしれません。そうなれば使用する食器や食事にかかる時間なども影響を受けるでしょう。すると水道や電力の使用量も変わってきます。また、カスタードクリームのシュークリームにたまたまアレルギー物質が入っていて発疹が出たため後日外出を控えたことで、いつも使う歩道に突っ込んできたトラックに轢かれずに済むかもしれません。楽しみにしていたお出かけができないのは残念ですが、けがをするよりましだったのかもしれない。しかしけがをして入院した先の病院の理学療法士と結ばれ幸せな生活を送ることができたのかもしれない……。

 

こうして次々とわずかなズレが重なっていくことで、「運命」は大きく変容します(このようなことは生クリームのものをこの身体の一部とした私自身にも当てはまることでしょう)。かくして「運命」は自分や周りにいる友達や先生や同僚だけのものではありえず、わたしたちの存在の全体が世界のすべてにつながりを持っています。実に不思議なものですね。「運命」はさながら、やわらかな西日につつまれて風にきりもみされながら落ちていく木の葉のようなものでしょうか。確実に落ち続けてはいることはわかるが、いつどこにどのように落ちるかはわからない。そしてその葉にとってそれ以外の落ち方はありえず、それが幸せな落ち方であったかどうかはいつまでもわからない。

 

 要するに、わたしたちに無関係なものなど決してないと思うのです。毎朝利用する鉄道で自殺があったならば、彼または彼女の背中を押してしまったのはわたしたちひとりひとりでもあるのではないか。逆に、わたしたちが呑気にコラムを読んだり書いたりしていられるのは地上で起こった無数の出来事のおかげなのかもしれない、というわけです。言い換えれば、人はいかなるかたちでも、そこにいる限り世界から離れられないのですね。(とくに最近では、メールやラインを通していつどこにいてもすぐに人間関係にからめとられてしまいますよね。そんなものなくてもつながっているのに。)

 

だからなんなのか。ここまでみてきたように考えると生きることはかなり窮屈になりそうです。事実窮屈です。しかし世界とのつながりに対する認識を欠かさないことは重要です。すべてはつながっているのだから、そこに人為的な壁を築くことは破たんを招くわけです。宮崎駿監督『天空の城ラピュタ』において、「ラピュタはかつて恐るべき科学力で天空にあり、全地上を支配した恐怖の帝国だったのだ」とされています。ラピュタの人々はこの窮屈極まりない地上を離れてしまったのですね。それが地上の脅威となった。これに対する、「(人間は)土から離れては生きられない」という主人公の台詞は印象的です。ここに、わたしたちの無関心は象徴されているのではないでしょうか。

 

……拙い文章で失礼いたしました。このコラムを書いたのは穏やかな秋の日の昼下がり。厳しかった夏は、疲れ切ったひとのようなやさしい季節になりましたね。もっと語りたいのですが秋の日は釣瓶落とし、澄みきった夜が近まで来て待っているので、キーボードを閉じましょう。この運命と偶然とに愛をこめて